お金を捨てる時代

ふと夢を見た。

お金をゴミ箱に捨てる瞬間を。

 

僕は捨てられたお金でも探してでも、もらいたい人間だ。

 

たまににゴミ収集場で札束が見つかるニュースを見る。捨てる人はどんな方なんだろう。死ぬ間際で相続する人がいないから、誰かに発見してもらってもらいたいのか。

今の自分には、お金を捨てる人の気持ちはよくわからない。

 

最近では、電子マネーやクレジット、QRコード支払いなど物理的な交換が次第に減少してきている。いや減少させようとしていると言った方がいいだろうか。

電子化されることで管理はしやすくなる。しかし、金銭感覚を失うだろう。

 

中国ではお金の対応をしておらず、QRコード支払いが主だ。

日本では、今でも貨幣経済が中心だ。手元にあることが安心なのである。僕も昔は通帳にお金を貯めてニヤニヤしていた。

 

最近ではそのお金が生きていないと感じ、市場に回してみた。昔の僕だと、この行為はお金をゴミ箱に捨てる感覚だったのだろう。回す前は不安だった。

 

しかし、今では活きいきしているように感じる。新企画や誰かの事業に応援することって、楽しいなと思った瞬間だった。

 

これらの行為は全てネット上で動いているただの数字である。しかし例えばAIが暴走し、電子システムが全て停止した瞬間、経済は動かなくなるだろう。(セキュリティの制度は上がっているから確率はゼロに近いけど)

しかし、震災で起きたように、電気が使えない場合は、電子マネーなどは使えず、お金でしか買えなかった。ATMも使えなかったら、タンス貯金もありかもしれない。(笑)

 

僕としては貨幣経済はなくてはならないものだと思う。

 

 

お金を捨てる時代はくるのだろうか。

 

 

 

読書の秋

 最近本を読んでいる。

よく出てくるキーワードは、「価値主義」

 

これから先、AI時代が進むにつれて、自分の価値を高めていく時代になる。

ここで言う「価値」とは何か。

 

①スキル・経験の様な実用性としての価値

②共感や好意のような内面的な価値

③信頼・人脈のようなつながりとしての社会的な価値

 

情報処理や分析においては機械にとって代わられるだろう。しかし悲観するのではない。無駄な作業をAIがやってくれるのだ。人間の可処分時間が増える。

私たちは情報編集力を担う。ジグソーパズル型学力ではなく、レゴ型学力。

希少性つまり価値を見出していくことがこれからの時代を生きていく上で大切になる。

 

11月11日はポッキーの日鮭の日第一次世界大戦終結から100年。

色んな切り口から、今日という日を見ると面白い。

 

今日も良い日だった。

 

 

 

初めての投稿

こんばんは。トムです。

初めてブログをやります。

 

このブログでは日常で感じたことや旅の記録を気ままに発信したいと思います。

 

今日は「ハゲタカ」という映画を見ました。

企業買収をテーマにした壮絶なマネーゲーム。ちなみにハゲタカとは、よくハゲタカファンドと呼ばれ、安値で買い上げた株式や債権を高値で売り巨額の富を得るファンドのことをいう。

あまり株式などの投資について関わってこなかったけど、多くの人が仕事の収入だけでなく副業やそれこそ株式をやって多方面から収入を得ている人が多い。お金は便利だ。お金があれば欲しいものはなんでも買えてしまう。僕だって欲しい。

しかし、よく言われているがお金が全てではない。それこそひと昔前はお金の存在すら無く、物々交換で欲しいものを得ていたほどだ。我々はお金に使われるのではなく、使わなくてはならない。支払わなくてはならないものにお金がどんどん飛んでいく人が多いと思う。月額の携帯料金やローンなど。その対価に見合うサービスを受けているのか考え直す必要があるように思う。

 

日本人は貯蓄するのが好きなようだ。私も時々、通帳を見ながらニヤニヤすることがある。しかし、そのお金は低い利率で1年に1回ほんのちょっとしかお金は増えない。手元にあることで安心するのだろう。

 

お金は循環させることで増えるそうだ。しかし、どこに循環させるかは自分自身の判断であり、そこに対する知識も必要だ。大人になっても勉強は欠かせないものだ。

 

1日1440分の時間が平等に我々には与えられている。どのように過ごすかは自分次第。今日も良い日だった。